この5年半――戦争をする国へ
地球規模に広がる「日米同盟 |
この5年半、日米安保条約をはるかに超えて、自衛隊を海外に派兵するための法案がぞくぞく提出されました。はたの(畑野)君枝議員は、憲法9条の平和の原点を訴え、危険な法案の成立阻止・法律発動反対のたたかいの先頭にたっています。
周辺事態(ガイドライン)法 (1999年5月 参院本会議採決)
日米間で「周辺事態」という新しい事態を作り出し、自衛隊がこの事態に武力行使をしている米軍に「後方支援」することを定めた法律。事態の認定は米軍が判断し、自衛隊が米軍の戦争に自動的に参加することとなります。その後、自衛隊が経済制裁にともなう臨検を行なうための「船舶検査法」(2000年11月)も成立しました。
はたの議員は、1999年5月18日、日米防衛協力のための指針に関する特別委員会公聴会で、ガイドライン法は、戦争を放棄し、武力の威嚇行為を禁止した憲法9条に真っ向から反する戦争法案であると指摘し、多数の米軍基地をかかえる神奈川県における周辺事態の場合の自衛隊と民間の対米支援の危険性などについて、公述人の意見をただしました。
テロ特措法 (2001年10月)
9/11(2001年9月11日の「同時多発テロ」)の報復戦争を開始した米軍にたいし、自衛隊が後方支援活動を行なうための法律。これによって、自衛隊は戦時下ではじめて出動し、インド洋などで戦闘行動にたずさわる艦船に給油などを行なっています。
テロ特措法が発動され、2001年11月25日早朝、掃海母艦「うらが」が戦時下で初めて、横須賀から出動しました。はたの議員は横須賀で、憲法の平和原則を平然と踏みにじる暴挙に抗議しました。
PKO改正案 (2001年12月)
自衛隊が平和維持軍(PKF)に参加するため凍結を解除し、武力行使に道を開く改悪法。武器使用の枠を広げ防護対象を自己以外に拡大し、また警護任務ができるようにして、自衛隊を憲法で禁じられた武力行使にいっそうふみこませるもの。
はたの議員は、2001年12月3日の本会議代表質問で、テロ特措法に続いてPKO法を改悪することは自衛隊の海外派兵をいっそう増やすためであると指摘し、「いま、日本がなすべきことは、憲法9条を生かすことである。本法案は廃案にすべきだ」強く訴えました。
武力攻撃事態法など有事関連三法案 (2003年6月)
アメリカの先制攻撃やガイドライン法などによって引き起される武力紛争に自衛隊を出動させる「米軍支援法」。また「有事」に対処するため、国民の土地を奪い、医療・建設・輸送業者などに業務従事命令などを出す基本的人権蹂躙法です。
はたの議員は、2003年5月29日、横須賀市で開催された「武力攻撃事態への対処特別委員会地方公聴会」で、この法案が発動されると空母キティホークなどの母港である横須賀は重要性が増して拡大強化が図られ、市民生活に影響が出る、基本的人権の侵害は避けられないなどと質問。ただ一人、法案の徹底審議、廃案を主張した呉東正彦・弁護士は「普通の人たちが危険な命令、強制的な命令で危険な目にあうことがある。憲法の原点に立ち返って、武力紛争を国際協調の下で解決していく枠組みが必要である」などと答えました。
イラク特措法 (2003年7月)
米英の無法・違法のイラク戦争、イラク占領統治を支持し、「安全確保」などのためとして戦闘状態が続くイラクへ自衛隊を派兵し、米英の軍事占領に加担する法律です。
イラク特措法案の廃案をめざして、参議院野党4党は2003年7月24日、法案を審議している外交防衛委員会での強行採決を阻止するため、外務大臣や防衛庁長官の問責決議案を提出し、攻防をくりひろげました。はたの議員は同日夕からの本会議で、川口順子外務大臣問責決議案の賛成討論に立ち、「米国にいわれるままに法案を強行する川口外相に外相の資格はない。イラク戦争で子どもや女性を殺戮した空母キティホークの横須賀からの出動を支持し、艦載機の爆音を放置する川口大臣は許されない」と外務大臣の責任をきびしく問いました。 |
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米軍基地はいらない
――使用していない基地の無条件返還を―― |
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| 小泉首相に無条件返還を求める――予算委員会で |
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2003年1月22日のNHK、23日の新聞各紙は、「米軍4施設返還協議へ 横浜の通信所、住宅など」「米軍4施設返還 来月に協議機関設置」などといっせいに報道しました。
はたの議員は、これらの報道を受けて1月28日、予算委員会で県関係議員のトップをきって、小泉純一郎首相に無条件返還を要求しました。
はたの議員は、日米で返還協議が始まるとされている4施設について、「富岡倉庫地区も深谷通信所も使われていない。上瀬谷通信基地では基地司令官と会い、基地として使っているのはごく一部だという説明を受けた。上瀬谷では横浜市も住民も避難施設にしよう、自然公園にしようと願っている。米軍住宅を住民は望んでいない」と指摘し、小泉純一郎首相に「少なくとも使われていない、遊んでいる遊休地は返すのは当たり前のことではないか、無条件に米側に基地を返すようにいうべきではないか」と質問しました。小泉首相は「米軍基地施設については、地元からいろんな要望が出ていることは承知している。いまアメリカ側と非公式折衝を続けているが、個々の要望をふまえて今後検討していきたい」と答弁しました。
はたの議員は、2003年2月5日、大森猛衆議院議員らと遊休基地の返還は当然のこと、しかも無条件で返還するよう米国との協議で主張せよと、川口順子・外務大臣に申し入れました。
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| 基地返還要求の共同の声とむすんで |
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今回の遊休基地の返還は、地域住民・自治体、平和団体が長いあいだ進めてきた共同のたたかいの成果です。第二の米軍基地県・神奈川から米軍基地を撤去し、爆音をなくし、米国が強行する不法・無法の戦争をやめさせようという大きな返還要求の声によるものです。
日本共産党は神奈川の米軍基地の撤去、横須賀の空母母港返上を強く求める運動を住民、平和団体などとともに進めてきました。
1980年代半ばからは、とりわけ基地として使用していない「遊休基地」の無条件返還を求めてきました。1992年5月22日には、神奈川県委員会の国政交渉で、外務省・防衛庁にたいし、富岡倉庫地区など基地名を明記し、遊休基地のおのおのについて現状を明らかにし、返還を要求することを申し入れました。
上瀬谷基地内に土地を持つ森茂徳さんは、1998年3月19日、横浜地裁に、国と米国にたいして土地の明渡しを求める訴訟を起こしました。2002年8月29日不当判決があり、裁判闘争は現在、東京高裁で続いています。
上瀬谷基地については、2002年4月18日、住民らは横浜市にたいし「施設の8割以上が未使用にもかかわらず、市長が私有地の返還を求めないのは市有財産の適正な管理を怠っている」として住民監査請求を起こしました。6月14日、この監査請求が棄却されたため、7月10日、市民・市民団体は、横浜市長を相手に、国に市有地の返還を求めないのは地方財政法に違反することの確認を求める訴訟を横浜地裁に起こしました。「米軍上瀬谷基地返還・訴訟勝利共闘会議」が結成され、この2つの裁判闘争を支援する活動を進めています。
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| 調査で遊休基地を実感して――上瀬谷基地で司令官と会見 |
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はたの議員は、厚木の爆音や空母の母港・横須賀とともに、特に基地として使用されていない米軍基地の調査に力を入れてきました。
横浜市の住民や市会議員などと、深谷通信所や富岡倉庫地区を間近に見、基地が基地として使われていないことを確認してきました。
はたの議員は、1999年9月7日、中路雅弘衆議院議員と上瀬谷通信施設に立ち入り、司令官スミス氏と会談しました。司令官は「現在の使用面積は108エーカーで、これは全施設面積587エーカーの18%であり、80%以上が遊休化している」と語りました。この発言は遊休化の実態を示すものとして注目を集めました。そして、上瀬谷基地の裁判において遊休状態をあらわす重要な論拠となりました。
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| 返還を求めて質問主意書を提出 |
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| はたの議員は、小泉親司議員と連名で、2000年11月30日、「神奈川県内の米軍基地・施設における遊休部分の返還に関する質問主意書」を提出し、富岡倉庫地区、上瀬谷通信施設、池子住宅地区・海軍補助施設と深谷通信所の返還を求めました。政府はこれにたいして、各基地はその使用目的のとおり、米軍が「使用していると承知している」として返還を要請することはしない、広大な池子の森は「資材置場等」として使用されているなどと、米国政府と米軍いいなりの答弁書を出しました。 |
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池子の森をもう一度壊すのか
新たな住宅建設に反対 |
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| 新たな米軍住宅の建設を許さないたたかいの先頭に |
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日本政府は、2003年7月18日、池子米軍住宅に新たに米軍住宅800戸を建設することを条件に、横浜市の深谷通信所などを返還することで米国と合意したと発表しました。
7月28日、はたの議員ら県議団、逗子・横浜議員団は、米軍住宅の追加建設を条件とする返還は許せない、遊休基地の無条件・早期返還を米国に求めよと、矢野哲朗・外務副大臣に申し入れました。
はたの議員らは、8月27日、国が米軍住宅を建設しようとしている池子住宅地区の横浜市金沢区周辺を調査し、町内会役員と懇談しました。住民の、毎年基地返還を要求している、新規住宅建設は認めない、池子の森を守っていきたいとの声をききました。
7月30日、はたの議員らは、池子市役所を訪問し、追加建設は認めないと主張する長島一由・逗子市長と懇談しました。
はたの議員は、9月12日、住宅建設の立場を市民に問うため辞職した長島一由・市長候補といっしょに逗子市内をまわり、応援しました。9月14日、逗子市民は長島氏を大差で当選させ、住宅建設に反対の意思を改めて示しました。
はたの議員は、大森猛前衆議院議員らと、10月14日、米軍池子住宅地区に立ち入り、住宅、仮設小学校や本設小学校予定地などを視察しました。 |
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爆音をまきちらす空母艦載機の訓練飛行をやめよ
危険なデモフライト中止に |
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| 全県に広がる艦載機の爆音被害 |
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爆音をまきちらしているのはNLP(夜間離発着訓練)だけではありません。空母キティホークの艦載機は昼夜をとわず、全県にわたって集中的な訓練を行なっています。特に2002年10月末のキティホーク出港前の9月、10月は昼間に、連続してタッチ・アンド・ゴーを繰り返し、上空を編隊でなんども旋回するなどの飛行訓練が強行されました。こういう訓練によって、2002年度からは航空機騒音にたいする苦情件数が年間5000件を超えるなど、むしろ被害が広がっています。
しかも、艦載機の飛行訓練コースがかわり、爆音被害は川崎市北部、鎌倉市、茅ヶ崎市、平塚市などに広がっています。こうした訓練はNLPと違って、無通告で行なわれています。
神奈川県などは、こうした被害拡大について、騒音被害の抜本的な解消を外務省や米国に強く働きかけました。綾瀬市は国にたいして、こうした訓練の情報提供を求めるとともに、「NLPの直前に厚木基地で集中的に実施されている訓練」は「NLP同様の激しい騒音を伴う訓練」であり、「厚木基地では行わないよう要望する」との立場を表明しています。
はたの議員はまた、2003年9月10日、艦載機が頻繁に飛行し、爆音がひどくなった川崎市麻生区の「麻生区の爆音をなくす会」のメンバーと、外務省を訪れ、政府として飛行実態を調査すること、川崎北部上空での飛行をやめさせること、そして横須賀を空母キティホークの母港として使用させないことを申し入れました。
はたの議員は、10月21日、大森前衆議院議員らと、10月24日からNLPを行なうという米軍の通告について、外務省を訪問し、抗議と中止を求めました。
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| 危険なデモフライトを廃止――米軍 |
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2001年4月18日、米海軍は、厚木基地で行なわれていた展示飛行(デモフライト)を中止することとし、さらに2002年5月22日、在日米海軍チャップリン司令官は外務省に「住民の懸念を検討した結果、今後行なわないことにした」とデモフライトの廃止決定を伝えました。
デモフライトは、空母艦載機が編隊飛行や急ターンなどを猛烈な騒音を出して、住宅密集地の頭上で繰り広げるもの。こんなことをやっていたのは国内では厚木飛行場だけでした。大和市、綾瀬市などの周辺住民は騒音被害と墜落の不安にさらされていました。周辺自治体をはじめ、住民と日本共産党ははやくからNLP中止とともに、デモフライトをやめることを要求してきました。
はたの議員は、1999年9月16日、外務省に、小中学校の運動会の日に強行しようとしているデモフライトを中止するよう米軍に要請することを求めました。大和、綾瀬、座間、海老名、相模原の5市では85の小中学校が運動会を予定し、5市の教育委員会は基地に中止を求めていました。
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| 厚木爆音訴訟、国は控訴するな――超党派の議員と首相に申入れ |
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2002年10月16日、横浜地裁は第3次厚木基地騒音訴訟について、「厚木基地の航空機騒音は周辺住民に受忍限度を超える被害をもたらすもので」、国の防音対策は「根本的な解決になっていない」と指摘し、国の「厚木基地の設置管理には違法がある」と判決しました。この判決は基地の現状を的確にとらえ、爆音に苦しむ住民の訴えにこたえるものでした。
第3次厚木爆音訴訟団の真屋求団長は、県選出議員に、政府にたいして「控訴せず判決の早期確定をめざすよう働きかけて頂きたい」と要請。はたの議員は、2002年10月29日、真屋団長や原告のひとたちとともに、首相官邸を訪れ、騒音訴訟の控訴をしないよう申し入れました。この要請には超党派の22名の国会議員が賛同しました。 |
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通告したNLPを初めて中止に追い込む
2001年1月〜2月 |
2001年2月、米軍は厚木基地で実施すると通告したNLP(夜間離発着訓練)の全日程を中止しました。
前年2000年9月、米軍は、厚木・三沢・横田・岩国の各基地でNLPを強行し、傍若無人の米軍の態度に怒った自治体首長・市議会は「友好関係の断絶」を宣言し、一時中止させていました。
はたの議員は、党国会議員団の「NLP・爆音問題プロジェクトチーム」の事務局長として、NLP中止のたたかいに力を尽くしました。
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| 市長、市議会の反対を踏みにじって、NLPを強行 |
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2000年9月、米軍は硫黄島を使わずに、厚木基地などで2回もNLPを強行実施し、住民に耐え難い苦痛・被害を与えました。
厚木基地では2000年9月5日から8日まで、三沢基地では三沢市・市議会の「絶対反対」の要請を無視して9月5日から3日間、タッチ・アンド・ゴーを繰り返しました。続いて米軍は厚木で9月18日から22日まで行なうと通告。ここで、住民の怒りと抗議を受けて自治体が動き出しました。
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| 「堪忍袋の緒が切れた」「友好関係を中断する」――大和・綾瀬市長 |
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大和市長は2000年9月21日午後、「堪忍袋の緒が切れた。米海軍との友好関係を中断する」と発言。綾瀬市長も同日、「このようなことが続くなら友好関係を考え直さなくてはならない」と表明しました。すでに 「基地との共存・共栄」を基本としてきた三沢市長は10日前、全国にさきがけて「米海軍との友好関係を中断」していました。
大和市長、綾瀬市長の態度表明のあった21日の夕方、艦載機はNLPのために飛び立ったかと思うと直ぐに基地に戻りました。米軍は厚木でのNLP中止を発表、通告した日程を2日残しての突然の中止でした。
これら各市は、市の行事などに米軍関係者を招待しないなどの措置をとり、また神奈川県と厚木基地周辺7市(大和・綾瀬・海老名・座間・相模原・藤沢・横浜)は二度にわたって強行されたNLPについて「このような状況が今後も続くことになれば、日米の友好関係を損なうことにもなりかねない」と「厳重抗議」しました。
2001年1月29日、NLPの被害を受けている基地所在の5市(綾瀬・大和・福生・岩国・三沢)の市長が大和市で会合を持ち、国と米国に被害自治体の思いを伝えるため連携を強めることを確認しました。
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| 「NLP・爆音問題プロジェクトチーム」事務局長として |
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こうした動きと連携し、米国・日本政府への働きかけを強めるため、日本共産党国会議員団は2001年2月1日、「NLP・爆音問題プロジェクトチーム」を設置し、はたの議員が事務局長につきました。チームは岩国・三沢市などの市長を訪問して、意見を交換し懇談することを決めました。
はたの議員は2月2日、大森猛衆議院議員らと綾瀬市長、大和市長をそれぞれ訪問、懇談しました。
こんななか、米軍は2月9日、NLPを2月23日〜26日の4日間実施することを通告してきました。米軍の通告を受けて、はたの議員はプロジェクトチームの会合を開き、河野洋平外務大臣への中止申し入れや厚木現地調査を行なうなど今後の具体策を決め、行動を開始しました。はたの議員は厚木基地へいき、基地司令官宛に中止を申し入れました。
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| 通告したNLP中止となる |
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| NLP開始予定の2月23日、厚木基地滑走路北側前で抗議集会が開かれるなか、午後6時すぎ低騒音機が数回飛来しただけで、午後8時過ぎ米軍は23日のNLP中止をしたと連絡。結局2月23日から26日までのNLPは全日程の中止となったのです。硫黄島で訓練が行なわれるようになってから、通告した全日程の中止は厚木基地では初めてのことでした。 |
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心のケアを、原潜訓練水域の廃止を
──えひめ丸事件── |
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| 万全な態勢でこころのケアを |
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2001年2月はじめ、宇和島水産高校実習船「えひめ丸」が米原潜グリーンビルに衝突される事件が起きました。はたの議員は、三崎港へ出向き、行方不明の家族、被害にあった家族を見舞い、要望などを聞きました。
はたの議員は、2001年3月22日、文教科学委員会で、水産高校をあずかる文部科学省は全力をあげて、事故の徹底的な原因究明と再発防止策の策定を米国政府に求めるよう要求しました。
はたの議員はまた、高校生の「心のケア」にたいし万全な措置を講ずることを質問。遠藤純一郎・文部科学省スポーツ・青少年局長は、愛媛県教育委員会は事故に遭った生徒たちの心のケアに対応するため、臨床心理士の派遣、養護教諭と保健所等の関係機関の連携強化、心の相談員の配置などの対策をとっているとし、「愛媛県教育委員会から要請があれば積極的に支援する」と答弁しました。
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| 潜水艦訓練水域の廃止を、実習船の安全を |
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はたの議員は同日、相模湾に米原子力潜水艦訓練の水域が提供されていることについて、文部科学大臣に「『担当外』と片付けるのはなく、文部科学省としても廃止を求めるべきだ」と迫りました。
三崎水産高校の小型実習船の「わかしお丸」(19トン)は相模湾で実習を日常的に行なっている。1年生はカッターで夏休みは除いて4月から9月まで週4回実習。2年生は「わかしお丸」で伊豆大島沖まで4月から7月、9月から11月、週2回実習――はたの議員は、こうした実習の実態をあげ、「えひめ丸のような事件が起きたら大変」、「水産学校の学校生の学校である海の安全を守る」ため潜水艦行動区域の廃止をアメリカに求めていくべきではないかと、文部科学大臣に対応を求めました。町村信孝・文部科学大臣は「潜水艦行動区域の扱いは文部科学省が直接答えをする立場にはない」と答弁。はたの議員は「相模湾の潜水艦行動区域の廃止を含めた見直しを求める声が漁業関係者、相模湾周辺の自治体から上がっている。3月19日、湯河原町議会は全会一致で潜水艦行動区域の廃止を含めた見直しの意見書を採択した」ことを指摘し、文部科学大臣の姿勢を批判しました。 |
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原子力艦船の災害対策の確立に尽力
万が一の事故に備える訓練を |
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| 全国ではじめての訓練――横須賀で |
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2002年8月、横須賀市で、横須賀市の「原子力災害対策計画編」を実証するため、原子力潜水艦の放射能漏れ事故という「最悪のシナリオ」を想定した全国初の原子力防災訓練が行なわれました。第2回の訓練は2003年10月29日に実施されました。
原潜が寄港する横須賀市は、以前から原子力軍艦事故防災対策を検討していましたが、国が2000年5月、「防災基本計画」を改定し、原子力艦船の災害については地方自治体が対策をとるものとされ、横須賀市の災害対策の実施が可能になりました。
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| 原子力艦船災害対策を求める |
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はたの議員は、1999年秋明るみに出た東海村の臨界事故によって不安が高まっていた米原子力艦船の事故対策をとるよう繰り返し求めました。
はたの議員は1999年11月25日の文教・科学委員会で、原潜等の「事故が起こり得るということを前提として対策」をとることを要求。中曽根弘文・科学技術庁長官は「万々が一異常が発生したときの対応を地方公共団体と十分な協議をしていきたい」と答弁しました。これは翌日の「神奈川新聞」一面で、「『事故は起こりえない』としてきた従来の政府の姿勢から、一歩踏み込んだ認識を示した」ものと報道されました。
はたの議員は、2000年3月24日、災害対策特別委員会で、横須賀市などは「災害対策基本法に基づいて地域防災計画ができるようにしてほしいと要望している。米国原子力艦船への災害の対応と体制について防災基本計画に位置づけ」ることを求めました。中山正暉・国土庁長官は、原子力艦船事故が「わが国領土内に影響が及ぶ場合に備えて、住民の避難など防災対策を地域防災計画で対応するのは大事だ」と答弁しました。
はたの議員は、2000年5月17日、本会議で、「原子力の安全神話が崩れている。神話のみを根拠にせず、事故を前提にしっかりとした安全基準を設けるべきだ」と主張しました。
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| 自治体の防災計画が実現、財政支援も |
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そして、2000年5月30日、中央防災会議は、「防災基本計画」の第10編「原子力災害対策編」に「なお、原子力災害に関しては、地域的な特殊性をかんがみて必要とされる場合、関係自治体の防災計画において、その対応に留意するものとする」という2行を追加しました。これによって政府と地方自治体の協議・調整が行なわれ、横須賀市の防災計画が実現をみることになりました。
2000年8月9日、はたの議員は、文教・科学委員会で、原子力艦船の防災対策の実施にあたって国が財政支援をすべきと要求し、大島理森・科学技術庁は「モニタリング等」について努力することを表明しました。その後、2001年度から、「原子力艦の原子力災害にかかる放射線モニタリング体制の整備費」として毎年約7億円の予算がつけられ、横須賀・佐世保港などのモニタリング体制の強化に使用されています。 |
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